日常と非日常の生活。

日常の事象、非日常の現象を書いていきます

春うらら

日千秋、二番煎じ、三軒茶屋

 

特に意味はないんだけど、なんか意味深な文から始めると、中学生にウケそうなラノベの冒頭っぽくなる事に気づきめちゃくちゃ感動している。作文とか書くとき使おう。否

 

 

春休みが始まった。始まったので休もうと思ったらこの様だ。なんだこれは。ちっとも休めやしないじゃないか。言葉巧みに騙されたような、そんな気がしなくもないような春だ。

 

一年があっという間に過ぎていき、春がまたやってくる。高校生活最後の春が来る。

充実しなければならない。高校生活最後の一年は高校生活で一番充実しなければ存在している意味を粗方失う。

だからと言って春休み全てに予定を入れるのは違うと思う。話が違う。

自分で予定を入れた訳だけれど、一ヶ月前の自分を背後から鉄パイプでぶん殴るには一体どうすればいいんだろう。世の中は不思議で満ち溢れている。春だ。

 

 

 

極的にライブをしています。今月は頗るライブ漬けの生活を強いられている。

今月は12日と13日、そして25日から新宿で怒涛のライブハウスジャックをしている。

これを書いている次の日、28日にもライブをするし、31日もする。

4月に入って3日と16日も。大変だなぁ。他人事のように言うけれどとても大変だなぁ。

 

なにゆえライブをそんなにって思う人も少なからずいると思うんだけど、やっぱり上記した通り『充実』を求めてたんだ。充実しすぎた。その結果がこの様だ。

 

別にライブをしてフラストレーションが溜まる事もないし、特別疲れるって訳でもないんだけど、折角ある春休みに家でのんびりゴロゴロ出来ないのはとても惜しいと考えた。何故か課題も出ているし。やらないけれども。

 

何はともあれ、結果的に僕はこの現状を満足しているし、充実感を得ているから構わない。とても楽しい。

 

楽しさに飲まれた生活というのは、途端に去っていくと気持ちの整理が付かなくなるので、再来週あたりの僕はきっと五月病ならぬ四月病でも患っている事だろう。大変だなぁ。

 

 

 

分の好きな事をいつまで続けていられるか、そういう事を最近よく考えるようになった。意識が高まる。

進路を決める為には自分のやりたい事を自分がハッキリと知らなくてはいけない。

 

例えば、僕は今後美術関係の技術を高めて、様々な印刷物のデザインに関わっていきたいと思っているのだけれど、その気がいつまで続くのか。もしかしたら専門学校に行って一年経ったら似た分野のちょっと違う事に手を伸ばして、それをモノにしたいと思う事もあるかもしれない。

そうなった場合、自分が目指す職業から”デザイン関係”が消える。

一番新しく自分の意識の中にある『出来る事、やりたい事』が最優先される。

 

もしその時、建築に関して学びたいと思ったら、その瞬間から頭の中は製図塗れになる。

もしその時、ヘアメイクに関して学びたいと思ったら、その瞬間から頭の中は美容塗れになる。

 

人間とはそういうもので、結局『一番興味のある事』という内容が何かの拍子に上書き更新されたらその事ばかり考えてしまう。

それを見繕って『今自分は何を目指しているのか』『何をしていきたいのか』という事をしっかり考えないと後になって馬鹿みたいに悩み続ける事になる。嫌だねぇ。

 

僕はこの先もずっと美術関係を一番に優先出来るのか。悩むことは多い。

 

 

 

 

 

 

つかは結論を出さなければならない。春が来れば答えも自ずと来るだろうか。

 

考えるにはまだ早すぎた、遅すぎた。それすらも判断は出来ない。正しいか否かは自分では判断し難い。

 

春の風は寒くも暑くもない。誰もが『丁度いい』と答えると思う。同じだ。

丁度いいくらいに決めればいいじゃないか。早いも遅いも、答えを出すのは春が丁度いいんだ。心地よさは通り過ぎるばかり。

 

春うらら。知らない事に耳を傾けなければ春は来ない。

 

 

もうすぐ春が来る

 

 

今日は暖かかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おわり