均衡
- 幸せとはおおよそ普遍的なものであって、いささかながら全てにおいて平等に存在している。
それは僅かの幸、不幸を誤差と認識するが、手にする権利は一切衆生にある。
ただし、その幸せを手にする権利は持っているだけでは選挙権と同様に何の効力も得るものも無い。幸せには行動がなくてはならない存在となる。
行動とは全てにおいてチャンスの一環であり、礎と言える。
不幸だと嘆く者は大抵自分が幸せを得ようと努力したつもりでいるだけであって、ずれたタイミングで行動している。
「チャンスの神様は後頭部ハゲ」と何処かで聞いたことがあるかもしれない
チャンスの神様には前髪しかない、後ろ髪は全くない。だから後になっても遅い。チャンスだと思ったのであればすぐさま前髪を鷲掴みにしろ、と。
どうせ動くのであれば今一度考え直すことなく、先手を取って動く事こそが幸せを手にする権利の上手な使い方なのだ。
ここまで書いて結局何を伝えたかったのかは言うまでもないかもしれない。
今日の自分は幸せだった。
それでいて安堵に浸っていてはいけない。
冒頭に書いたとおり、幸せとは普遍的なものだ。
普遍なものである以上無暗に求めてはならない。
それでも手にした時の気持ちを決して忘れてはならない。
幸せを続けるということは、ことある矛盾の積み重なりを切り崩していかなければならない。
切り崩して尚、その感情を均衡にしなければならない。
何も特別だと括りにつけず、ただ幸せを拾った時に感じたチャンスの瞬間、気持ちを忘れず、そのままで有り続けなければ幸せは紛い物にかわってしまう。初志を失う事程恐ろしいものはない。
今日手にした幸せを、これからも続けようとする為に人は動く。
手に入れた幸せを大事にする事、日常の産物さと決めつけない事、過剰にならない事、それでいて情けの柵のようにふらふらとボンクラしないでいる事
自分はこれを大切にして幸せを手にしている。
何事も無くさないように